天水
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天水市

  天水は、古く「成紀」といわれ、「天河水を注ぐ」、「天一にして水を生む。」から命名された。甘粛省の南東、秦嶺の西の部分、渭水の中流に位置する。天水は「羲皇の故郷」であり、「隴上の江南」と関中――天水経済区の2次的核心都市でもある。

  天水は中華民族と華夏文明の重要な発祥地の一つである。伏義文化、大地湾文化、秦の早期文化、麦積山石窟芸術文化と三国古戦場を代表とする豊富な五大文化は、独特な歴史文化体系を構成している。天水は「三皇」の第一位の伏義氏の生誕の地と伏義文化の発祥の地である。約6000-7000年前ごろ、伏義は大地湾から70キロメートル離れた三陽川卦台山で八卦を初めて創始したといわれている。

  天水は中国の歴史文化著名都市であり、今まで8000年もの文明史、3000年以上の文字によって記録された歴史及び2700年の都市建設の歴史を持っている。天水市は現在各レベルの文物保護単位が450カ所以上ある。そのうち、国家級17カ所、省級45カ所、保護対象にされた歴史的市街地7カ所、民家143棟、これら重要文物保護単位は56.5ヘクタールを占めている。市全域に百年以上の樹齢の古木が228本もあり、量において揚州についで全国二位である。南郭寺の「春秋古柏」は「柏の王者」に称されている。また、天水は有名な泉が至るところにあり、代表的なものとして、甘泉、官泉、玉泉、馬跑泉、北流泉、清水温泉、武山温泉、街子温泉などが挙げられる。

  天水市は中国優秀旅行都市で、観光資源に恵まれている。現在228カ所の観光スポットうち、29カ所がA級景勝区(国家5A級観光地1カ所、4A級5カ所、3A級1カ所)、32の旅行会社、34軒のホテル、39軒の農家楽、69の観光客用のトイレがある。そのほかに2つの国家級工業農業観光模範スポット、2つの森林公園、一つの国家地質公園、8カ所の省級森林公園がある。また、域内に明代の建築群伏羲廟、八卦の遺跡卦台山は国内外の炎帝と黄帝の子孫がルーツ探しと祖先を祭るための聖地である。麦積山石窟と甘谷大像山と武山水簾洞拉梢寺はシルクロードの東の部分の「石窟芸術回廊」をなしている。

  天水麦積山景勝区(AAAAA)

  天水麦積山風景観光スポットは天水市の南東50キロメートルにあり、西秦嶺北支東段に位置し、北の渭水に跨がり、南の嘉陵と接している。景勝区全体は麦積植物園、曲溪、放馬灘、浄土寺といった大きな観光スポットが4カ所含まれ、それに麦積山石窟、仙人崖、瑞応寺、羅漢崖などと隣り合っている。景勝区全体は森林面積がおよそ76パーセント、動植物が非常に多く、自然の風景と人文の景観が互いに照り映えている。ここには小さな観光区が35カ所あり、観光スポットが180カ所もある。麦積山石窟という名が中国の内外に知れ渡っているため、「麦積山」と名付けられた。

  麦積山は五胡十六国時代の後秦(384−417年)の時に初めて開鑿された。その景勝区には松や竹が群生し、連山には緑が豊かで、四方は山にぐるりと囲まれている。昔から「秦地林朱の冠」と呼ばれた麦積は中国秦嶺山脈の西端の小隴山における奇峰であり、海抜は1742メートル、山の高さは142メートルにすぎない。しかし、その形がとても珍しく、一つだけ飛び抜け、麦の穂を積み上げたような形をしているため、麦積山と言われた。西南側の高く切り立ち垂直にそそり立った崖である西峰には、有名な麦積山石窟が開かれている。その中には、山裾から二、三十メートル離れたのもあり、七、八十メートルに達するのもある。このような高く切り立った崖に洞窟や仏像を数百も掘ることは中国の石窟の中では本当に珍しいのである。そのため、「東方の彫塑館」と高い評判を博している。

  麦積山あたりは景色が美しく、連山にはつややかな常緑の松や柏、野生の花やうっそうとした草がたくさん生い茂っている。頂上に登り、遥か遠くを眺めると、四方のところどころには青々と茂った山があり、数え切れないほどの山や谷間、幾重にも重なっている山並み、海のような松、立ちこめている雲や霧が目に飛び込み、遠く近くの景色が交錯している。このような美しい図柄を呈しているため、「麦積煙雨」と言われる。

  伏羲廟(AAAA)

  伏羲廟は天水市の秦城区西関に位置し、西暦1347年に創立され、西暦1490年に初めて建物が建てられ、西暦1542年に改修され、太昊宮と名付けられ、人宗廟と俗称されている。

  伏羲廟は北側にあって南を向き、通りに面して建てられている。庭園は幾重にも列なり、広大で奥深くひっそりとしている。廟にある古い建物は劇場、鳥居形の門、正門、儀門、先天殿、太極殿、鐘楼、鼓楼、来鶴ホールなどが10棟あり、新しい建物は朝房、碑の回廊、展示ホールなどが6棟ある。現在の面積は6000平方メートル以上にも達し、主要な建物は、南北を貫いている主軸に沿って並び、レイアウトは規則的で、厳かに雄壮である。中国国内にただ一つの伏羲の彫塑がある伏羲廟である。

  伏羲廟には元々正門の内側の南と東の隅に二本の古いエンジュの木があったが、いまでは東側の一本しか残っていない。このエンジュは中が空洞で、鑑定の結果、唐代に植えられたことが明らかになった。伏羲廟に庭中にたくさんある柏の古木は明代に植えられてたものである。元々64本あり、伏羲の六十四卦という数を象徴していたが、今では37本しか残っていない。しかし、これらの柏の古木はまっすぐに天高く聳えている。このような静かで優雅な環境は、伏羲廟にある周易文化を色濃く現している。

  正月16日の伏羲の生誕記念日になると、周りの人々が老人を支え、幼児の手を引き、次々と伏羲廟へ「人の先祖」を参拝にやって来る。その日は、蝋燭が輝き、線香の煙が緩やかに立ち昇り、天地を揺るがすかのように鐘鼓が鳴り、重々しい風景になるという。

  南郭寺(AAAA

   南郭寺は天水市の城南2キロメートルの山間部にあり、占有面積は5.7ヘクタールである。ここは木が青々と茂り、古い柏が天高く聳え、景色が美しく、鳥がさえずり花はかぐわしく、天水の有名な観光スポットの一つである。

  隴右の第一名刹である南郭寺は甘粛省省級文物保護部門であり、愛国主義の教育センターである。この寺院は歴史が長く、宋朝に「妙勝院」と呼ばれ、清乾隆帝から「護国禅林院」の名を賜った。南郭寺は建立されてから約1600年も経ち、歴代の詩人墨客に好まれた遊覧地であり、唐朝ではすでになかなかの規模であった。その中に、天王殿、鐘鼓楼、禅林院、関聖殿、杜小陵祠、北流泉などの有名な建物もあれば、青黒く天高く聳えている「唐のエンジュや漢の柏」もある。

  ここには、中国文学史上の「ふたご座」と誉め称えた李白と杜甫が南郭寺を詠んだ詩があり、それに、杜工部祠堂や「世にもまれな宝物」と呼ぶことができる「春秋古柏」などといった文物もある。これはめまぐるしい世の転変にもかかわらず、文物がまだ残されているのは奇跡と言っても過言ではなく、華夏文明の宝物というべきものである。

  玉泉観(AAAA)

  玉泉観は俗称城北寺で、崇寧寺とも言われ、甘粛省天水市秦州区城北天靖山の麓に位置している。山頂にさっぱりして甘味のある玉泉があり、また元代秦州教諭であった梁公弼がこのお寺を建てた時に「山寺の北効に名山玉泉」という詩を吟じたことから、この名が付けられた。さらに、「玉泉仙洞」は、誉れ高き秦州十景の一つとなている。

  建築スタイルは道教の戒律によってデザインされ、南北を貫く中心軸上に雄大な玉皇殿、三清殿、牌楼など7つの建物が並んでいる。東、西、南には連綿と続く丘、小山、山間には規模大きな祠堂、宗廟、泉亭と碑廊などがある。玉泉観の建築スタイルは伝統的な建築スタイルの上に、地方色を融合させている。近年、国内の学者に広く注目され、その規模も完成度も国内では稀だと認識されている。

  境内にはまっすぐに伸びた柏の古木が50本が現存している。その中に一級保護されたのが21本ある。玉泉「ニンニクの束の柏」が最も奇抜で鮮やかである。その木は根も爪も外へ現れ、根と茎が交錯していて、女の子のおさげのようなので、「ニンニクの束の柏」と古くから呼ばれ、国家の古木の専門家に「中国一」と誉め称えられた。

  武山水簾洞(AAAA)    

  武山水簾洞は甘粛省天水市武山県から東北へ約25キロメートル離れた鐘楼山峡谷に位置し、洞の高さが約50メートル、深さが20メートルあまりの自然の岩洞であり、洞内を長年小さな川が絶えず流れ出し、雨天になると洞の屋根からまっすぐ下へ流れ落ち、まるで水の暖簾のようで、このように名付けられた。今では、拉捎寺、千仏洞、顯聖池、水簾洞などを含み、天水麦積山石窟次ぐ石窟群であり、共に渭河上游古「シルクロード」の南道の仏教芸術景勝地である。。

  水簾洞石窟群は北周時代に建て始められ、五代、宋、元代にも建て続けられたり、造り直されたりした。石窟群は七寺五台、十二カ所の人文旧跡があり、五組に分かれて周囲数キロメートル以内に広がっていて、「雄奇険秀幽曠」といった自然の景色と一体となり、隴右古文化の明珠であり、景勝地でる。

  アジア一といわれる露天摩崖浮き彫り大仏・拉梢寺大仏は我が国の石窟芸術の中で実に珍しく、早期石窟文化を研究する上で重要な資料である。現在保存されているのは、各時代に作られた像が百体あまり、壁画が2000平方メートル以上、建物が十棟ほど、舎利塔が八基、題記碑刻が十枚、頭部の破損したミイラが一具ある。この拉梢寺摩崖にある題記を歴史別に区分したり、美術史の根源と発展を研究したりするには重要な実物的な資料であり、最も貴重なものである。

  甘谷大象山(AAAA)

  甘谷大像山は甘粛省天水市甘谷県の南西2.5キロにある秦嶺の西端の文旗山に位置する。山裾の石の階段から頂上までは全部で1.5キロメートルで、敷地面積はおよそ640ムーである。ここはシルクロードの甘粛南東部において、石窟と古代建築物を一体させた重要な文化遺跡の一つである。

  大像山という名は山頂に大仏の像を彫刻したことからきている。甘谷大仏は釈迦牟尼仏である。大像山は大仏で世に知られ、ずっと大像山と呼ばれてきた。仏教協会会長の趙僕初氏が仏陀の生誕、歴史や故事を研究し、釈迦牟尼「象に乗り入胎する」の伝説により、大象山という呼び名が適切だと主張したことをきっかけに、正式に大象山となった。

  山上には松が群生していて、香りのよいクローブが美しく、亭台や楼閣が建てられ、優れた彫刻や回廊の絵が木々の緑に映えている。高く切り立った崖の間、垂直にそそり立つ崖に大きな洞窟があり、中には石胎泥塑の大仏が立てられている。半円で彫刻された石胎泥塑の甘谷大仏は高さが23.3メートル、肩の幅が9.5メートル、頭の高さが5.8メートル、膝の長さが6メートルもある。その仏像は高くて雄大で、見る人たちを仰ぎ慕わせ、その備え持った文化特質は西洋の装飾彫塑と中国の写意性の彫塑とが完璧に結びついた芸術作品である。考証によると、甘谷に仏像を彫塑することは北魏時代に遡り、四つの王朝、三百年余りの歴史があると言われる。

  清水温泉ホリデーリゾート(AAA

  清水温泉ホリデーリゾート(元清水労働者温泉療養院)は甘粛省天水市清水県から東8キロ離れた所に位置し、海抜は1420メートルである。1957年に設立された。2008年に甘粛昊峰集団により、2年の年月、億元以上の費用をかけ、元省労働者温泉療養院を改造し、建て直し、拡張工事が行なわれ、今では天水市での湯浴文化を特徴づけ、療養、健身、休暇娯楽、観光、会議接待、魚釣り、飲食業を一体化させたたホリデーリゾートである。

 

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