嘉峪関
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嘉峪関市

  嘉峪関市は甘粛省の北西部、河西回廊の中部ほどにある。古称は璧玉山で、「美しい谷間」の意味である。秦の時代以降、その地理の重要のため、兵家必争の地で、「河西の喉元」と「辺境の鍵穴」と言われた。総面積は2935平方キロ、総人口は23.43万人、8つの街を所轄している。

  嘉峪関市は「一五」という国家重点建設プロジェクト及び「酒泉鉄鋼会社」の発展と共に、徐々に設立された新興の近代的な都市である。この名がつけられたもので、市区の明代の万里の長城の西端ゴールである。以前は酒泉郡に属した。1955年、粛南の鏡鉄山鉄鉱石が発見された。1958年、酒泉鉄鋼会社は設立され、元の町を主として、酒泉県、粛南県の部分が管轄されて、甘粛省嘉峪関市準備委員会が設立された。1965年、嘉峪関市となり、1971年、国務院の批准により、甘粛省の直轄市となった。

  嘉峪関市は温帯性大陸性砂漠気候で、年平均気温が6.7℃―77.7℃の間で、年間日照時間3000.2時間である。冬は一月が一番寒くて、絶対最低気温が- 28.6℃で、夏は7月が一番暑くて、絶対最高気温が38℃である。毎年5月から10月にかけて、この観光に最適な季節で、特に10月は、「七一」という氷河に登るのに素晴らしい時節である。サングラスをかけ、日焼け止めを塗りつけ、登山靴を履いて、ちゃんと氷河への征服を楽しもう。

  明の時代の始め、宋の国公、徴虜大将軍である冯胜が撤兵する途中、河西回廊の中部、東は酒泉、西は玉門、黒山を枕にし、南は祁連山脈の要害――嘉峪関の西の麓に関を設けた。嘉峪関の関城は1372年(明洪武五年)に建設が始まり、関城は依山傍水で南北の間の15キロの渓谷地帯にある。また、この渓谷の南部を流れている討頼河が天然の関防障壁になる。嘉峪関の近くにのろし台、墩台が縦横に設置され、関城の東、西、南、北、東北各方向に墩台が66座もある。嘉峪関の地勢が自然的にできていて攻防を兼ね備え、近くの万里の長城、城台、外堀、のろし台などの施設と一緒に厳密な軍事防衛システムを構成して、「天下第一の雄関」と称えられている。

  ここでは、2千年も前に開発された中国と西洋の経済文化交流の「シルク古道」と歴代の兵家が徴戦した「古い戦場」ののろし台がうっすら見える。ここは中国のシルクロード文化と万里の長城文化との交差点である。古いシルクロードを西に沿って、雄大壮麗な万里の長城、いたるところの文物遺跡、数多くの古典文献、謎のような奇山異水などは蒼茫たる古道を今なお美しく輝かさせる。

  嘉峪関文物観光スポット

  嘉峪関文物観光スポットは有名な「シルクロード」観光ルートに位置し、敷地面積は4平方キロメートルで、古来から「天下第一の雄関」という名誉を持っている嘉峪関の関城を母体として、万里の長城文化、シルクオード文化を内容に建てられた文化展示、旅行観光、レジャー娯楽を一体させた総合性の旅行観光地である。

  関城は、明洪武五年(1372年)に建設が始まり、建設に始まりから完全な関所となるまでに、168年(1372-1539年)の歳月を要し、明代の全長城全城9鎮の管理する1000余りの関所のうち、最も規模が大きく、最も堅牢な状態で残されている所である。地勢の険要と建築の雄大で、「天下の雄関」とも「辺境の鍵穴」とも呼ばれている。

  嘉峪関の関城は嘉峪関市の西南6キロのところにあり、最も狭い谷間で、地勢の最高の嘉峪山の上に位置する。城関の両翼の城壁がゴビ砂漠を横切って、北へ8キロ黒山の懸壁万里の長城に接し、南へ7キロ、天下第一ののろし台に連なっている。明代に万里の長城の西端支配となり、古くは河西第一の要害の場所と言われている。
  関城は内城、瓮城、羅城、外城、そして壕で構成される。全長は640メートル、面積は2.5万平方メートル、高さは10.7メートルで、黄土胴によって築かれている。西側はれんがのバッグの壁で、雄大で堅牢である。関城の上には矢楼、敵楼、閣楼、闸门楼が10あまりある。城内には将軍府、井亭、文昌閣、関帝廟、牌楼、戯台など建てられる。関を出て西へ100メートル余り行くと、「天下雄関」と書いてあった石碑が見える。それは「天下第一の関」と言われた山海関と東を隔てて遥かに呼応している。

  万里の長城第一ののろし台

  こののろし台は「討赖河のろし台」とも言われ、嘉峪関の西の長城の最南端にある墩台で、明代万里の長城の最も西にあるのろし台でもある。万里の長城は中華民族の偉い豊碑と言えば、万里の長城第一ののろし台はこの豊碑の台頭の場所ではないかと言えるだろう。

  こののろし台は明の嘉靖18年(西暦纪元1539)に、肃州の兵準道の李涵によって築いている、関城から7.5キロ南の討頼河の断崖56メートルのところにある。10000華里余りの明代万里の長城線には、無数の星のような墩台が点々残されいる。嘉峪関の万里の長城第一ののろし台は河北省の山海関の渤海の浜の「老蛇口」と遥かに呼応して、中華万里の長城の「竜」の首尾を共に構築して、中華民族の「竜」の美名を作っている。

  こののろし台の開発建設をもとにする観光地は、自然景色は壮観で、広大無辺のゴビ砂漠が雄大な嘉峪関に連なって、南側は起伏の祁連雪山で、麓は祁連山に源を発する検討赖河である。万里の長城第一ののろし台という観光地は、万里の長城文化とシルクロート文化を中身とし、ゴビ風光と西北民俗の風情をベースに、観光、探検、レジャー、娯楽、懐古遊歴、そして映画とドラマの撮影などに絶好のところである。

  懸壁の長城

  懸壁の長城は嘉峪関関城の左側の長城で、嘉峪関関城の北、8キロの石関峡の入り口の北側の黒山の北の斜面にある。明嘉靖の18年(1539年)に始まり、元の長さは1.5キロで、石と土で作られた壁で、現存する長城は750メートルで、そのうち、231メートルの城壁は高さ150メートル、傾斜角度45度の尾根にかけられ、ごちゃごちゃに逆さに似ているので、古来「懸壁長城」と名付いた。

  1987年に修復され、段階、垛壁、墩台から構成され、首尾には1基ずつの墩台が再建されて、合計3基の墩台がある。遊覧客の登る便宜を考慮して、修復された時に、始まりののろし台と尾根の城壁に段階が修築された。その段階は400あまりだけであるが、十分に人を躊躇して前へ進ませたくない。平坦なところでは平地を踏むようで、高くて険しい所では、絶壁を這い登っているようである。次のように賛美した詩も残されている。「万里の長城は万里の関、障壁の黒山にさらに暗壁かかる」。

  嘉峪関長城博物館
   嘉峪関長城博物館は長城歴史文化を全面的、系統的に展示した中国で初めての長城専門博物館である。嘉峪関文物観光地区にあり、1989年10月に完成した。長城博物館の敷地面積は4523.36平方メートル、総建築面積は3499平方メートルである。
  主体建物はのろし台の形をし、遠くから見ると、長城と連なっているのろし台のようである。館内は「偉大な長城」の基本展示を主とし、「春秋戦国の長城」、「秦漢の長城」、「北魏、隋、唐、遼、金の長城」、「明の長城」の4部分、7つの展示室からなり、中国史学界と文物考古界の半世紀あまりの万里の長城研究成果を集中させ、戦国時代から明代まで、3000年、東西南北10万里の長城の修築史、図表や模型文字による説明、カラー図表などが、展示室に凝縮されており、旅行者が短時間で、中国長城の空間的、時間的情況を総合的に理解できるようになっている。
  博物館には、「中国古代兵器装備展覧室」、「嘉峪関文物展覧室」、「名人書画展覧室」もあり、収蔵品は、各種歴史文物など6000点余りで、「長城文化の教科書」と讃えられている。

  新城魏晋壁画墓

  嘉峪関市の東北20キロ、新都市と農村のゴビ砂漠の上に位置し、ほとんどは1400余りの魏晋時代(西暦220年-419年)の地下壁画が分布して、、規模が膨大で、「世界最大の地下画廊」ということができる。発掘された部分の中で、8つの墓は彩色レンガの壁画墓で、画像レンガが700個もある。

  これらの墓は2室は或は3室からなり、レンガで作られ、ほとんどは一家族の墓地である。墓の門の上には、雕雲紋、水火図、4つの神像図や仙霊异兽などのいろいろな花模様がある。床はいろいろな花模様のレンガが敷き詰められている。墓室壁には労働人民の生産生活と墓の主人の贅沢な豪華な生活を表現するのれんがの絵が描かれている。

  新城魏晋墓群は1972年に発掘して以来、大勢の国内外の観光客が殺到した。特に墓の壁の画像レンガは魏晋時代の政治、文化、経済、軍事、民俗、そして科学技術などの方面の内容を系統的に反映している。その絵画は中国の伝統的な写実的手法を主に、莫高窟芸術よりも早く、魏晋時代の絵画芸術の空白を埋めて、非常に高い歴史研究価値を持っている。

  黑山摩崖岩画

  1972年から1978年まで、嘉峪関の西北20キロの黒山峡の岸壁に、新石器後期から紀元前1世紀までの遊牧民族によって彫刻された岩画が、計153枚が発見された。岩画は紅柳溝、磨子溝、四道溝など、黒山峡両側の岸壁に、2キロにわたって分布している。

  黒山の岩画の彫刻方法は独特で、飾り気はないが形象は生き生きとし、高い芸術価値と文化研究価値を持っている。描かれている場面は弓馬、乗馬、狩猟、ダンス、鳥や獣や魚や虫などに大きく分けられる。「操练図」という全図は30人余り、上中下の3列に分けられて操練をし、格闘、ラリー、かけ声とともに、指揮、監督、それぞれ職責を尽くして、中国の岩画における操練という題材を反映している代表作である。

  画面には農耕の場面はない。軍事練習は刀や矛などの兵器はなく、すべては遊牧と狩猟の生活である。人物形象や服飾は、河南省の輝县で出土した戦国銅鑑上水陸攻撃図のスタイルに似ている。これは、チャン族、大月氏と匈奴族の早期の文化遺物と思われるが、、甘粛省の古代遊牧民族の社会生活や歴史文化の研究にとって、重要な価値があるとされている。

  東湖生態観光地

  東湖生態観光地は嘉峪関市の南の市内の新区にあり、嘉峪関市の都市建設史上における規模の最大の生態建設工事である。観光地は「人間本位で、水を脈とし、緑を基とする」という理念で計画、設計をして、娯楽、観光、生態の改善、試合の協力、そして用水の調蓄などの機能を一体させる総合性のある生態観光地であり、「ゴビの明珠」と讃えられている。

  東湖生態観光地は、総面積は165万平方メートルで、人工の湖は56万平方メートルで、リボン川は640メートルで、中心の広場は3万平方メートルである。そこには、滝の通廊、景観亭、緑の遊廓、アーチ橋、埠頭、トライアスロン大会の記念雕刻と転換区などの施設が建てられる。また西部の明珠気象塔もある。この塔は裙楼、イルカの造型で網棚で構造された塔楼、球体と広場から成っている。タワーは高さが99メートルで計二十階である。その中、1階は気象科学普及展示区、二階はレジャー娯楽区、3階は観光プラットフォームで露天レジャー区で、皆喫茶店が付けられる。雲に聳えるように14、15階は上空の観光地で倍の高い望遠鏡が設けらて、嘉峪関を鳥瞰する最高の場所と言える。

  紫軒ワイン荘園

  紫軒ワイン荘園は古代シルクロード中西結合部で、万里の長城の西端の嘉峪関市に位置する。荘園の総敷地面積は65.4万㎡で、総体企画は年間、中高級ワイン5万トン、一期工事の建設規模は年間、優れていた品質のワインが1万トンである。

  荘園は2005年6月17日に建設して以来、現在1期工事の建設を完成した。圧搾、発酵、ストレージ酒、缶詰、研究開発センターなどの世界先進水準のワイン生産施設が建てられた。主な設備はフランス、ドイツ、イタリア及びアメリカから導入した。その中には、13700平方メートルの紫軒1号穴蔵は現在アジアでも単体面積の最大のワインセラーである。同時に作り上げたのは飲料生産ラインと装備精良のワイン研究開発センターである。

  荘園は醸造を中心機能とする基礎の上で、ワインの8つの基本的なステップを主要な内容としている。すなわち、「収穫→ゼリーテリア搾り発酵→硫化処理―混合酒→封瓶―瓶詰め」である。ワインというテーマを巡って、ヨーロッパ町の建築風格をモデルに、会員制的で高級な小型レジャークラブやテーマのレジャー区、専門の地下貯酒室と鑑賞センターなどの特色ある機能区が配備されている。

  中華孔雀苑の観光地

  中国嘉峪関・中華孔雀苑は峪泉鎮の嘉黄道路の南側50メートルにあり、観光、レジャー、インドクジャクの群の繁殖、規模の養殖を一体させるハイテク総合的生態観光地区であり、現在中国最大のインドクジャクテーマパークでもある。 

  現在、中華孔雀苑は3万羽を超える孔雀の養殖規模を持ち、園区の孔雀観賞区と飛ばし区の強大な支えになる。反季節の新鮮なブドウ栽培基地と摘み園、ハイテク连栋温室野菜栽培区、エコグリーン区などに加えて、さらに養殖区を生態化という特徴を備えさせる。

  ここでは、はるばるに来られたお客様客たちは、インドクジャクの華やかな姿を楽しむことができるのに限らず、中華孔雀苑の行き届いたサービスも享受できる。孔雀文化苑で孔雀関係の歴史文化を了解し、孔雀劇場で優美で感動させる孔雀歌舞を楽しみ、「甘粛の味」という所で味の宴会を体験し、「古道の時」という場所で道を悟り、お茶を味わうことができる。一度、中華孔雀苑への旅、インド孔雀をテーマにした全方位の精神文化の旅と言えるだろう。

  嘉峪関都市博物館

  嘉峪関都市博物館は雄関広場の東側にあり、嘉峪関という都市の風貌を十分に展示する工事である。主に実物、写真、シーンの回復、ビデオ、マルチメディアなどの方式を通じて、嘉峪関の50年余りの発展過程を見せ、全国からの建設者の労働情景を生き生きと再現している。

 

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